真田丸 ネタバレ 第38話 昌幸 さらば、真田昌幸

真田昌幸がこんなに早く退場するとは思いませんでしたね。
草刈正雄さん、本当にお疲れ様でした。

真田信繁(堺雅人)真田昌幸は東軍に味方し、
上田城を攻める徳川秀忠(星野源)が率いる徳川軍を
撃退します。

ところが、関ヶ原の戦いで、徳川家康(内野聖陽)の東軍が、
石田三成(山本耕史)の東軍を破りました。
勝利の宴に酔っていた真田家の人たちは、
その知らせを聞いて驚きます。

真田信之(大泉洋)本多忠勝(藤岡弘、)の必死の助命嘆願で
昌幸信繁親子は命を取りとめました。
しかし、高野山のふもとにある紀州・九度山へ
幽閉と決まってしまいます。

慶長6年(1601年)のはじめ、昌幸信繁とその一行は
高野山の入り口にある紀州九度山村の屋敷へ到着します。
春(松岡茉優)きり(長澤まさみ)高梨内記(中原丈雄)らが
従ってましたね。


真田昌幸信繁親子の九度山での幽閉生活

九度山村の真田屋敷、浅野家家臣・竹本義太夫(宮下誠)は
「お屋敷の隣に番所を設けた。お手前方が村から一歩でも出れば、
こちらに知らせが来ることになっておる。
抜け出すことなど考えず、ごゆるりと余生を送られよ」
と警告し、九度山村の長・長兵衛に
あいさつに行くようすすめます。

信繁はきりと一緒に長兵衛(木之元亮)を訪ねました。
ボーロという南蛮菓子を持っていきます。
長兵衛たちは「一日も早うご赦免となって、
ここを去っていただきたいと皆祈っております。
でなければ一日も早うあの世へ行って下され」
と冷たいです。

真田屋敷へ戻って、信繁ときりが真田の郷が
懐かしいと話してると、春がやって来ました。
きりが気を利かせて去ると、
春は「すえちゃんに会いたい」と言い出します。

佐助(藤井隆)は小屋を1日で完成させたので
きりがほめると佐助は「素っ破ですから」と自慢しました。
佐助はきりと自分の絵を描いていました。
佐助が残ってくれたのが心強いですね。

真田幸村の誕生はまだ、春はお梅に嫉妬

昌幸は信繁に、信之からの手紙を見せます。
信繁が「兄上は名前を変えたんですね」と驚くと、
昌幸は「わしが与えた「幸」の字を捨ておった。
源次郎、源三郎が捨てた「幸」の字もろうてくれんか?
、真田幸信繁」とビミョウです。
真田幸村の誕生はまだでした(笑)

上野・沼田城、真田信之は矢沢三十郎(迫田孝也)
小山田茂誠(高木渉)らと、九度山の昌幸たちのことを
心配していました。
信之はさかやきを剃って半髪になっています。

薫(高畑淳子)が伏せっているというので、
信之がお見舞いに行きました。
しかし信之が去ると、薫は隠しておいた
まんじゅうを食べ始めます。
松(木村佳乃)に「甘いものばかり召し上がってるから
食事を取れないのでは」と注意されてました(笑)

春は、きりに嫉妬するばかりでなく、
お梅のことを嫉妬し始めます。
混乱した春が指で障子を穴を何個も開けるので、
信繁は後ろから春を抱きしめました。

上杉景勝(遠藤憲一)は徳川家康に謝罪し、
会津120万石から米沢30万石に減封されます。
いずれは上杉を頼るつもりだった昌幸の夢は
ついえました。

春が信繁との最初の子を身ごもります。
春は生まれてくる子が女の子から
お梅にしたいと笑いました。怖いです(汗)


徳川家康と徳川秀忠、征夷大将軍となる

慶長8年(1603年)徳川家康は征夷大将軍に任じられます。
同じ年、孫娘・千姫を豊臣秀頼に輿入れさせ、
その権勢は絶頂を迎えようとしていました。

信繁が「これで秀頼様のお立場はさらに弱くなりました」と言うと、
昌幸は「運が向いてきたぞ。家康は今、浮かれておるわ。
我らの赦免もそう遠くないとみた。上田へ帰れるかもしれんぞ」
と期待を膨らませます。

信繁から依頼を受けて、沼田城の信之は
本多正信(近藤正臣)に手紙を書いて、
昌幸信繁親子の赦免を願い出ました。

伏見城、正信が信之からの手紙を出すと、
家康は「中身はわかっておる」と手紙を落とします。
正信が「九度山に追いやって早2年、赦免を考えてやるには
よい機会」と言いますが、
家康は「ならぬ。安房守は死ぬまであそこにおるのだ」
と厳しいです。

慶長10年(1605年)家康は征夷大将軍を
徳川秀忠(星野源)に譲りました。

信繁が「将軍の座を息子に譲ったということは、
今後は徳川が政を行うと世に知らしめたということ。
秀頼公が天下人となる夢は失われました」と言います。
昌幸は「今家康は、浮かれておる。最後の機会じゃ。
ここで赦免がならねば、後はもうないぞ」
とまだ諦めてません。

伏見城、正信が「真田安房守、流罪となって早4年、
もはや牙を抜かれた狼」と言いますが、
家康は「あれが九度山を離れるのは、骨になった時じゃ」
秀忠は「佐渡守、もう安房守のことは一切我らの耳に入れるな。
あの男は死んだのだ」と冷徹です。
徳川家康は真田昌幸を相当憎んでましたからね。

真田昌幸、赦免を諦める

上田城、薫や松が家康のところへ行って直訴しようと言い出します。
稲(吉田羊)は「母上様、いい加減になさいませ!
父上様のご赦免はもう諦めください!夫は父上様とは
縁を断ったのです。もう2度とこの城の中で真田安房守様の
話をすることはなりません。私が許しません。
殿も殿です。我が家までお取り潰しになってもよろしいのですか?
すべては真田のためでございます」と去っていきました。

こう(長野里美)も「これ以上、大御所様がご機嫌を損ねれば、
大殿様も源次郎様もお命が危のうございます。
奥方様はそれを心配しておられるのです」と付け加えます。

真田屋敷の縁側で、昌幸は「源次郎、これはひょっとすると
わしはもうここから出られんのかもしれんな」
と弱気につぶやきました。

月日は流れて、昌幸は老いていき
髪の毛はすっかり白くなってしまいます。
信繁もヒゲをたくわえてましたね。


中川大志さん 豊臣秀頼役で初登場

慶長11年(1606年)豊臣秀頼主催による大掛かりな
鷹狩が催されます。
片桐且元(小林隆)が「右大臣、豊臣秀頼公のお成りである」
と宣言すると、
中川大志さんの豊臣秀頼役が初登場しました。
凛々しくて、かっこよかったです。
秀頼は「皆、支度は整っておるか?では参るぞ」と声をかけ
加藤清正(新井浩文)らを率い出立していきました。

信繁がカゴを背に山道を登っていくと、
板部岡江雪斎(山西惇)が座っていました。
信繁が「江雪斎殿!」と声をかけると、
江雪斎は北条氏直の御霊が高野山に眠っているので
弔いに来た、最後は出家らしく終わりたいと言います。

信繁が「蟄居暮らしになれました」と言うと、
江雪斎は「お主はいかん。板部岡江雪斎を侮るな!
お主の眼差しの奥に、くすぶっている燠火(おきび)が見える。
いずれ誰かがその火を求めて来よう。
楽しみにしておるぞ、真田左衛門佐」と話しました。

真田屋敷、長兵衛や村人らが隣村との諍いを解決してので、
戦の仕方を教えて欲しいと頼んできます。
昌幸は手勢を確認し、少ない兵の戦い方を教えようとしますが、
途中で信繁に目配せしました。
信繁は村同士のケンカで死人が出れば、長は磔になるので、
浅野の殿様に相談してとアドバイスします。

本多忠勝の死

沼田城、本多忠勝は百助(國分隆登)仙千代(大山蓮斗)のために
竹とんぼを作ってましたが、小刀で指を傷つけてしまいました。
忠勝は家康に隠居したいと申し出ます。
「それがし一度たりとも手傷を負ったことがないのが
自慢でございました。本多平八郎、一生の不覚。
すでに世は太平。平八郎の出番はございませぬ」と言いました。

家康が「まだまだ西の方角でひと波乱あるやもしれん」と言うと、
忠勝は「その時には、我が槍、蜻蛉切を片手に真っ先に駆けつけます。
この老いぼれ、たとえ手柄を立てられずとも、命尽き果てるまで、
殿に尽くす所存。それこそが、もののふの務めでございます」
と話します。

有働アナウンサーが「その一生を家康のために尽くした本多忠勝は
大坂の陣を待たずに、慶長15年、この世を去る」とナレーションで伝えました。
勇猛果敢な本多忠勝は、小松姫・稲を娘にもって、
娘婿の真田信幸の最大の理解者でしたね。
藤岡弘、さん、お疲れ様でした!

徳川家康と豊臣秀頼との対面

慶長16年(1611年)正月、
北政所は髪をおろし、京に住んでいて、誰とも会おうとしないので、
信之は北政所の侍女たちの指南役をしていた人物と会います。
書をたしなみ、和歌にも通じた当時一流の文化人として知られた
小野お通(八木亜希子)です。

大坂城、加藤清正は片桐且元に、成長した秀頼と家康を対面させ
豊臣家の扱いを変えようと画策しました。

伏見城、本多正純(伊東孝明)から対面のことを伝えられ、
家康は「上洛はする。上洛はするが、その代わり、対面の場は
二条城。わしが建て直したわしの城に秀頼を呼ぶのだ。
世間は豊臣が徳川の臣下となったと思うであろう」と言います。

大坂城、清正や且元が反対しますが、
秀頼は「私は構わぬぞ。向こうはわざわざ駿府から参るのだ。
出向いてやろうではないか。大事なのは私が家康と会うこと」
と射った矢を見事に命中させました。

加藤清正の最期

4月8日、家康は秀頼と二条城で会見します。
石田三成は加藤清正に「もし私が志半ばで倒れたら、
豊臣家のこと、お主に託す。命に代えて、秀頼様をお守りしろ」
と頼まれていたのです。

清正は秀頼にぴったりついて、家康に面会しました。
2人きりと言われてるのに、清正は正信を突き飛ばし、
家康の近くに座ってしまいます(汗)

下座に着いた秀頼が背筋を伸ばし「豊臣秀頼である」と宣言すると
上座の家康は「ご無沙汰いたしておりまする」と頭を下げました。

対面が終わってから家康は「あれは本当に太閤の子か?
いかんのう」と爪をかみます。
正信は「いけませんな。豊臣家もつくづく運がない。
秀頼公が凡庸な二代目であれば、しぶとく生き延びられたものを」
と言いました。
そして清正について、二代目服部半蔵(浜谷健司)に
任せることにします。

服部半蔵はすれ違いざまに、清正に針を打ちました。
二ヶ月後、加藤清正は死にます。

真田昌幸の死

信繁の子・大助(吉田騎士)が庭に座っていました。
どうしたのかと信繁が声をかけると、
大助は、村の子に罪人の息子とバカにされたと打ち明けます。

信繁は「父も、じじ様も決して決して罪人ではない。
この世の中で徳川の軍勢に2度も勝ったのは、じじ様だけだ。
お前にはそのじじ様の血が流れている。誇りを持て」
と励ましました。

すっかり白髪になって髪を伸ばしていた昌幸は大助に
「今度何か言われたら、こうするんじゃ。
謝るフリをして、噛みつけ。ケンカに卑怯も何もあるか。
勝ったモン勝ちじゃ」と言って小枝の攻撃を教えます。
信繁が春と話してると、昌幸が倒れてしまいました。

褥(しとね)に横たわった昌幸は信繁に
「兵法奥義」と書いた紙の束を渡し
「願わくは、もう一度、戦に出たかった。
源次郎、遺言じゃ。しかと聞け。いずれ必ず徳川と豊臣がぶつかる。
その時はここを抜け出し、お前は豊臣につけ。
これより話すは徳川に勝てるただ1つの道。
10年かけてわしが考えた策じゃ。
まず手持ちの軍勢を持って、尾張を制する…」と語り
最後に大坂城で迎える、負ける気がせんと言います。

信繁は「しかし父上ならきっとうまく運ぶでしょうが、
私には難しいのでは?私には場数が足りません」と弱気です。

昌幸は「わしの立てる策に場数などいらん。心得は1つ。
軍勢を1つのかたまりと思うな。1人1人が生きておる。
1人1人が思いを持っておる。それを夢々忘れるな」
と伝えました。
大坂城に出城を築く真田丸の構想は語られませんでしたね。

昌幸のもとに、信繁と春、内記ときり、佐助、大助に
梅(斎藤さくら)が囲みます。

昌幸は「信濃に帰りたかった。上田の城に」とつぶやくので
信繁は昌幸の手を握りました。
馬のいななきが聞こえ、昌幸が「御屋形様!」と言うので
信繁と内記が起こします。
昌幸は「御屋形様!」と目を見開いて、手を伸ばしてから力尽き、
ゆっくりと目を閉じました。

真田昌幸は亡くなります。
慶長16年(1611年)、享年64才でした。
草刈正雄さんは真田昌幸を見事に演じてくれました。
味のある、クセのある智将の昌幸は、
主役の真田信繁を完全に食ってましたね。
本当にお疲れ様でした。

真田丸 最終回は大坂夏の陣ではない!?

真田昌幸が亡くなるのは、慶長16年(1611年)
なので、「第38回 昌幸」では時間が一気に
10年も飛ぶことになります。

大坂冬の陣が慶長19年(1614年)
大坂夏の陣が慶長20年(1615年)が
間近に迫ってくるのです。

真田丸は全50回と仮定すると、
あと12回もあります。
最終回が、大坂夏の陣での真田信繁の死までと考えると
やけに多いなと思いました。

もしかして真田丸の最終回は、真田信之が亡くなるまで
ではないかなと考えましたが、どうでしょうか?

大河ドラマ 真田丸 あらすじ
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