真田丸 ネタバレ 第22話 裁定

北条氏政(高嶋政伸)がついに上洛を承諾します。しかし、沼田城を真田から取り戻すという条件付きでした。沼田の真の主を定める沼田裁定が始まります。

聚楽第の洋風の広間にて、審議開始です。北条家名代・板部岡江雪斎(山西惇)が「そもそも沼田城は上杉のものであったものを、天正6年、御館の乱の際に、我が北条が奪いとった城でござる。よって沼田が北条の城であることは明々白々。以上」と主張します。

真田家名代・真田信繁(堺雅人)は「確かにかつては北条のものでありましたが、天正8年、城は武田の手にわたっております。以後、織田に引き渡すまでの2年間、沼田城は真田の支配にございました。なにゆえ北条殿がおのが城と言い張るのか、まったく解せませぬ。以上」と反論しました。

豊臣秀吉(小日向文世)は「面白い。双方真っ向から言い分がぶつかっておるな」と近づいてきて「そもそも沼田城は誰が築いた?」と聞きます。石田三成(山本耕史)が「片桐殿」と振ると、片桐且元(小林隆)は家系図を出して、築城したのが上野の国衆・沼田顕泰で、騒動が起きた時に鎮めたのが上杉謙信だと解説しました。

秀吉が「なにゆえ皆この城にこだわる?」と聞くと、且元は地図を広げ、沼田城の重要性を説明します。

江雪斎は「最も大事なのはどちらが先に城を有していたか。とすれば北条であることは、明々白々」と主張すると、
信繁は「どちらが先かは意味のないことにございます。それを言うなら城は上杉に返さねば筋が通りませぬ」と反論すると、秀吉が「一本!」と扇子を掲げました。

信繁は「沼田はかつて上杉、北条、真田が三つ巴で争っていた場所。そこへ織田が現れ、そこから城を奪い取った。大事なのはその織田から誰が奪い返したかではございませんか」と言うと、
江雪斎は「それならば北条である。上野信濃から織田を追い払ったのは我が北条の軍勢じゃ」と返します。

信繁が「織田を追い払ったのは北条かもしれません。しかし沼田城に関しては、真田が己の力で勝ち取った城にございます」
江雪斎は「否!勝ち取ったと申すか。実のところ本能寺の騒ぎにまぎれて掠め取っただけではございませんか。
さらに言えば当時真田は織田の家臣・滝川一益の下についており申した。つまり真田は主人の滝川殿を裏切り沼田を騙しとったのです。違うか?」と聞きました。

信繁は「おっしゃる通り。だまし取り、かすめ取り、勝ち取りました」と開き直ると、
秀吉は大笑いし「実に面白い。ただ少し疲れた」と言うので、三成は休憩を言い渡します。


広間を出た信繁は、小部屋に入って真田昌幸(草刈正雄)と話しました。昌幸は「なかなかいいぞ。今のところまったくの互角じゃ。まさしく沼田はだまし取って、かすめ取ったのじゃ。お前は正直に申しただけじゃ。まだ徳川は何もしゃべっておらん。どういう立場を取るつもりなのか面白うなってきた」と笑って、信繁の胸を叩きます。

渡り廊下で、信繁が深呼吸をしてると、江雪斎が近づいてきて「これは戦だとわしは思うておる。戦は勝たなくては意味がない。容赦はせぬぞ」と言いました。信繁が「望むところ」と答えると、江雪斎は「こうして我らがやり合うことで、真の戦をせずにすむ」と広間へ向かいます。

きり(長澤まさみ)は差し入れを持ってきてくれますが、信繁のより、豊臣秀次(新納慎也)の方がだいぶ大きいです(笑)

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審議再開します。秀吉は拾をあやしながら登場しました。天正10年に徳川と北条の間で盟約が結ばれた時のことを、三成が徳川家名代・本多正信(近藤正臣)に聞きます。すると江雪斎はそれを遮り、徳川と北条の間で交わされた起請文を出してきました。そこで信繁も、徳川と真田の間の起請文を提出します。

拾が泣き出したので、秀吉は「あとはお前、任せた」と秀次に言って去ってしまいました。秀次はうろたえながらも「考え方の筋道は見えた。つまり徳川が真田と北条と交わした約束。どちらが…」と話してると、
江雪斎はそれを遮り「徳川と真田はいわば主従でござる。両者の間に交わされた約束は、親が息子にしたようなもの。それに対して北条と徳川との約束は国と国との盟約である。事の重大さが違う。どちらを重んずるかは自ずと明らかであろう」と言います。

信繁は2つの起請文の日付をチェックして欲しいと頼みました。徳川と北条が天正10年10月29日、徳川と真田が天正10年9月28日です。
信繁は「真田の方が1月早うございます。どちらを重んずべきかは自ずと明らかでございます。大名と大名の間に交わされたた盟約も、親と子が交わした約束も、重さに変わりはございません。先に交わした約束は違えてはならぬ。赤子にもわかる理屈にございます」と主張しました。

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江雪斎は「真田殿、ご自分の言われていることがどういうことかわかっておいでか?お主はこう申したのだぞ。徳川三河守殿は真田との約束があるにも関わらず、赤子でもわかる理屈をないがしろにして、再び盟約を交わしたと。徳川殿は居並ぶ双方の家臣の前で、はっきりと沼田を北条に譲り渡すと申された。貴殿は徳川殿を嘘つきよばわりされるか?二枚舌の卑劣漢と罵るか」と言います。

本多正信は「はてさて合点がいきませんな。我が主・三河守がそのようなことを申すはずはござらん。そもそも我が主には沼田を譲り渡すつもりはござらなんだ。北条に伝えたのは、奪い取るなら好きにせよということ。起請文にもそう書かれているはず。そこに手柄次第とありませんか?おのが手柄で沼田城を奪い取るなら、徳川は邪魔はせぬ。という意味にございます」と話しました。起請文を確認すると、確かに「手柄次第」も文字が見えます。

江雪斎は「それは言葉の解釈によります。手柄次第とはいつでも欲しい時に受け取ればよいという意味ではござらんのか。徳川殿は約束されたのだ。間違いなく沼田を譲り渡すと申された。本田殿も聞いていたはずじゃ」と混乱しました。
正信は「はて。忘れ申した」と言うので、江雪斎は「何だこれは!」とブチ切れます。

秀次は「江雪斎、ずっと気になっていたのだが、譲り渡すにせよ、奪い取るにせよ。それは沼田城が真田の城であることを暗に認めていることにならないか?もともと北条のものであるなら、取り返す、奪い返すというべきである。これは何より北条は沼田を真田のものであると思っている証拠じゃ。語るに落ちるとはこのこと。違うか?江雪斎。ここまでだな、治部」とたずねます。三成は「双方の言い分は聞き尽くした。後ほど殿下のお裁きを申し渡す」と言いました。

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廊下、信繁が「ありがとうございます。どうしてお味方を?」と聞くと、正信は「それがしは、ありのままを言うただけ。必死で戦うておる若者を見たら、手を差し伸べてやるのが年寄りというもの」と去っていきます。

小部屋、昌幸は「ようやった勝ち戦じゃ」と信繁をほめていると、三成が入ってきました。昌幸は西洋甲冑の後ろに隠れますが、三成はお見通しです。昌幸が顔を出すと、三成は「余計なことをしてくれたな。お主のおかげで算段が狂った。気持ちはわかるが安房守殿、これでは困るのだ。殿下にとって何より大事なのは、北条を上洛させること。そのためなら沼田はくれてやってもいいと思っておられた。すんなり沼田を北条に渡してもよかったが、それでは真田の立場がないと思い、それゆえに今日であった。安房守殿ここは折れてくれぬか」と話します。

昌幸が「沼田を諦めろと言われるか?お断りいたす」と言うと、三成は「そなたが折れなければ、北条と戦になる。真田と北条の戦だけでは済まなくなる。日の本中を巻き込む大戦になるのは必定。沼田が火種となるのだ。理不尽のことは承知の上。この通りだ」と頭を下げました。

信繁は「沼田は引き渡しましょう」と言うと、昌幸は「沼田の外れにある名胡桃には、わが真田家の代々の墓がござる。あそこだけは渡すわけにはいきません」と頼みます。三成は「ならば名胡桃はそのまま真田に残す」と許可してくれました。

三成が去ってから、信繁が「名胡桃にご先祖さまが眠っているとは知りませんでした」と言うと、昌幸は「でかませに決まっておるではないか。何か言ってやらんと悔しくてな。名胡桃はひときわ高いところにある。あそこの城からは沼田が丸見えじゃ」と笑います。

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裁定が下りました。沼田領のうち、沼田城を含む石高む3分の2が北条の、名胡桃城を含む3分の1が真田のものとなります。かくして沼田裁定は決着したかに思えたのですが…。

小田原城、北条氏政は秀吉の裁定に怒り、北条氏直(細田善彦)に兵2万を沼田城に常駐させるよう命じます。

真田信幸(大泉洋)は沼田城へ行き、矢沢頼綱(綾田俊樹)矢沢三十郎(迫田孝也)に裁定の結果を伝えました。矢沢頼綱はぶつぶつと武士たちの名前をつぶやき「これまでこの沼田城を守るために、死んでいった者たちを思い出していたのだ。教えてくれ、あの者たちに何と言って詫びればいいのだ。あやつらは何のために死んでいったのだ」と去っていきます。

天正17(1589)年11月、沼田城に入った北条家家臣・猪邦憲が突如、名胡桃城を攻め、奪い取ってしまいました。上田城大広間、佐助(藤井隆)は「すでに城は北条の手に落ち、城代・鈴木主水様はご自害の模様でございます」と報告します。

高梨内記(中原丈雄)が「すぐに出陣いたしましょう」と信幸に言っていると、本多忠勝(藤岡弘、)が「何をためらっておる。今すぐ兵を名胡桃に進めるのじゃ。この本多平八郎忠勝、加勢つかまつる」とやって来ました。信幸が「舅殿は口を挟まないで頂きたい」と言うと、忠勝は「婿殿、よう言うた」と笑って出ていきます。

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京、真田屋敷、佐助から報告を受け、昌幸は持っていた胡桃を落とし「こんなことなら名胡桃も北条へ渡しておけばよかった」と後悔しました。昌幸は「意趣返しじゃ」と出浦昌相(寺島進)とともに、名胡桃城を奪い返す勢いでしたが、信繁は秀吉に許しを得て欲しいと頼みます。

聚楽第、昌幸が「どうか、名胡桃城奪回のお許しを頂きたい」と頼むと、秀吉は「安房守、名胡桃のこと、わしに預けてくれんか」と答えました。

三成の提案で、秀吉は北条に書状を送って、名胡桃城を返し、上洛するよう命じます。しかし小田原城の氏政は「何ゆえ秀吉は首を突っ込んでくる!子供のケンカに親が乗り出してくるようで、見苦しくてならんわい」と書状を破りました。江雪斎が「ここは従っておいたほうが得策でございます」と言いますが、氏政は聞きません。

茶室、千利休(桂文枝)がどうなったか聞くと、秀吉は「氏政は断ってきた」と言い、利休は「殿下の思う壺ではおまへんか。これで討伐の口実ができましたな」と答えます。

秀吉が「北条征伐じゃ。すぐに支度をせい」と言うので、三成と信繁が止めますが、秀吉は「さんざんわしは救いの手を差し伸べてきた。それを氏政は拒んだ。後は戦しかない。大名どもに触れを出せ。見たこともない大軍で北条の度肝を抜いてやる」とやる気満々です。

小田原城、書状を読んだ氏政は「秀吉が攻めてくる。この小田原城があるかぎり、負けはせぬ」と言います。氏政は奥羽の伊達との盟約があるので、徳川を味方につけるための江雪斎を駿府城へ向かわせました。

駿府城、徳川家康(内野聖陽)は「だからもっと早いうちに、秀吉に会っておけばよかったのだ」と言い、正信が「江雪斎殿はいかがいたしましょう」と聞くと、家康は「この期の及んで北条につくわけがなかろう。追い返せ。しまいじゃな、北条は」と答えます。この時から関東の名門・北条家は、滅亡に向かって突き進んでいきました。

大河ドラマ 真田丸 あらすじ
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